軍の謎の薬品「トライオキシン245」が漏れ出した瞬間、墓場の死者たちが一斉に蘇る! 映画『バタリアン』は、コメディとスプラッターが融合した、80年代ホラーの金字塔です。タールマンやオバンバといった個性的なゾンビたちと、彼らが「脳みそ」を求める衝撃の理由。この記事では、本作のあらすじや、従来のゾンビ映画との決定的な違い、そして皮肉に満ちた結末を深掘りします。
※本記事は、映画『バタリアン』の結末を含む重大なネタバレを記載しています。未鑑賞の方はご注意ください。
ℹ️ 映画『バタリアン』の作品情報とあらすじ(ネタバレなし)
まずは、80年代ホラーコメディの金字塔であり、その後のゾンビ映画に多大な影響を与えた『バタリアン』の基本情報と、物語の導入部分(ネタバレなし)をご紹介します。
作品基本情報
あらすじ(ネタバレなし)
物語の舞台は、ケンタッキー州ルイヴィルのユニーダ医療会社。ここで働くことになった青年のフレディ(トム・マシューズ)は、初日の業務を終え、先輩のフランク(ジェームズ・カレン)からとんでもない秘密を打ち明けられます。
「映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は実話で、そのモデルになったゾンビが軍のミスでこの倉庫に送られてきた」——。
フランクが冗談半分で、地下に保管されていた軍のドラム缶(タンク)を叩いて見せた瞬間、老朽化していたタンクから謎のガス「トライオキシン245」が漏れ出してしまいます。ガスを浴びた二人は気絶。さらにガスは倉庫内の医療用死体や、解剖用の犬、蝶の標本まで蘇らせてしまいます。
パニックになった二人は、社長のバート(クルー・ギャラガー)に助けを求めます。彼らは証拠隠滅のため、蘇った死体をバラバラにし、近所の火葬場で働くアーニーに頼んで死体を焼却することにしました。
一方その頃、フレディの帰りを待つ友人たち(スパイダー、トラッシュ、ケーシーたち)は、時間潰しのために火葬場の隣にある墓地で騒いでいました。火葬場で焼かれた死体の煙は、空で雨雲と混じり合い、有毒な「死の雨」となって墓地に降り注ぎます。その結果、墓地に眠っていた死者たちが次々と蘇り、若者たちに襲いかかるのでした。
📜 【ネタバレ】『バタリアン』結末までの全あらすじ(タールマン登場)
ここからは、映画『バタリアン』の結末と、ゾンビたちの衝撃的な設定に関する重大なネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
本作の恐怖は、単なるパニックではなく、主人公たちが徐々に「死」に侵食されていく過程と、ゾンビたちの「知性」にあります。
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「トライオキシン245」の漏出と最初のゾンビ
医療倉庫で働き始めたフレディは、先輩のフランクから「『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は実話だ」と聞かされます。その証拠として地下に運ばれた軍のドラム缶を見せられますが、フランクがふざけてタンクを叩いた瞬間、ガスが噴出。二人はガスを吸い込み気絶してしまいます。
意識を取り戻した二人ですが、ガスは倉庫中に充満。倉庫に保管されていた解剖用の犬や、バラバラの医療用検体(死体)までもが動き出してしまいます。さらに、冷凍庫に保管されていた死体が、自ら扉を開けて出てきます。これが一体目のゾンビ(通称:イエローマン)です。
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証拠隠滅の失敗と「死の雨」
パニックになった二人は社長のバートを呼び出します。彼らは、ゾンビ映画の常識(ロメロ監督作品の知識)を思い出し、「脳を破壊すれば死ぬはずだ」とゾンビの頭にツルハシを突き立てます。しかし、バタリアン(本作のゾンビ)は頭を破壊されても動きを止めません。
途方に暮れた三人は、ゾンビをバラバラに切断し、近所の火葬場の経営者アーニーに頼み込み、死体を焼却してもらいます。しかし、これが最悪の事態を引き起こしました。ゾンビを焼いた煙は空に昇り、雨雲と結合。有毒な化学物質を含んだ「死の雨」となって、隣接する墓地に降り注ぎます。
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墓場からの復活と若者たちのパニック
その頃、火葬場の隣の墓地では、フレディを待つ恋人のティナや、パンクスのスパイダー、そしてヌードで踊るトラッシュ(リネア・クイグリー)たちがパーティをしていました。「死の雨」を浴びた墓地の土が盛り上がり、埋葬されていた死者たちが一斉に蘇り、若者たちに襲いかかります。
彼らは墓地から逃げ出し、医療倉庫や火葬場へと逃げ込みますが、蘇ったバタリアンたちは知性を持ち、全力疾走で彼らを追い詰めます。
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名物ゾンビ「タールマン」と「オバンバ」の登場
このパニックの中、本作を象徴する二体のゾンビが登場します。
一体は、医療倉庫の地下にあったドラム缶から蘇生した、ガスの影響で全身がタールのように溶け、黒光りするゾンビ「タールマン」です。彼は倉庫内に逃げ込んだティナたちに執拗に襲いかかり、「脳みそぉ…」とうめき声を上げます。
もう一体は、墓地から蘇った女性のゾンビ、通称「オバンバ」(上半身のみの死体)です。彼女は救急隊員を襲った後、主人公たちによって拘束されます。
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ゾンビが「脳みそ」を食べる衝撃の理由
拘束された「オバンバ」に対し、バートたちは「なぜ人間を襲うのか?」と尋問します。すると、オバンバは流暢にこう答えます。「脳みそを食べるためだ」と。
さらに「なぜ脳みそを?」と問うと、オバンバは苦悶の表情で衝撃の事実を告白します。
「死んでいることの“痛み”を和らげるためだ。生きている人間の脳みそを食べると、この苦痛が和らぐんだ」彼らは空腹で襲うのではなく、死後も続く耐え難い「痛み」から逃れるために、本能的に人間の脳(生気)を求めていたのです。この設定が、従来のゾンビ像を完全に覆しました。
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フランクとフレディのゾンビ化
一方、最初にガスを浴びたフランクとフレディの身体にも異変が現れていました。救急隊員の診断によると、二人の脈拍はゼロ、血圧もゼロ、体温は室温と同じ。医学的には「死んでいる」状態でした。
彼らは徐々に理性を失い、身体の痛み(死の苦痛)を訴え始めます。フランクは、自分がバタリアンになることを悟り、自ら火葬場の焼却炉に飛び込み自殺(?)します。フレディは完全に理性を失い、恋人であったティナに「脳みそが欲しい」と襲いかかります。
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絶望の結末:核ミサイルによる「消毒」
倉庫も火葬場も、知性を持つバタリアンたちによって完全に包囲されます。彼らは無線を使いこなし、「もっと救急車をよこせ」「もっと警官をよこせ」と、新鮮な「脳みそ(エサ)」を自ら呼び寄せます。
万策尽きた社長のバートは、最後の望みを託し、軍のドラム缶に書かれていた緊急連絡先の電話番号(国防省)に電話します。電話に出たグローヴァー大佐は、バートから「トライオキシン245が漏れた」と聞くや否や、事態を即座に把握。
大佐は「待っていろ、すぐに解決する」と電話を切ります。安堵するバートたち。しかし、大佐が取った「解決策」とは、街(ルイヴィル)ごと核ミサイルで焼き払い、証拠を隠蔽することでした。
ラストシーン。何も知らないバートたちが「助かった…」と呟く中、空から核ミサイルが飛来し、街全域が爆発の閃光に包まれます。そして、爆発によって生じた大量の煙が、再び空で雨雲となり、別の場所で「死の雨」を降らせるところで、物語は幕を閉じます。バタリアンの悪夢は、より大規模になって繰り返されることを示唆する、完璧なバッドエンディングでした。
🧐 【結末考察】ゾンビが「脳みそ」を食べる理由と絶望のラスト
映画『バタリアン』が単なるホラーコメディに留まらず、カルト的な人気を誇るのは、その斬新な設定と、すべてを突き放す皮肉に満ちた結末にあります。ここでは、本作の核心である「脳みそを食べる理由」と「核ミサイルの結末」について深く考察します。
考察1:「脳みそを食べる理由」が示したゾンビの悲哀
本作がゾンビ映画の歴史において画期的だった最大の理由は、ゾンビ(バタリアン)が「なぜ人間を襲うのか?」という問いに、明確な答えを与えた点です。
従来のゾンビ(特にジョージ・A・ロメロ監督作品)は、生前の記憶を失い、本能のままに人肉を貪る「歩く死体」でした。彼らは恐怖の対象ですが、その内面が語られることはありませんでした。
しかし、『バタリアン』のゾンビ(オバンバ)は、自らの口でこう語ります。
「死んでいることの“痛み”を和らげるためだ」と。
これは衝撃的な設定です。彼らは死んでいるにも関わらず、腐敗していく肉体や、生命活動が停止したことによる「耐え難い苦痛」を感じ続けています。その唯一の鎮痛剤が、「生きている人間の脳みそ(生気)」だったのです。彼らは空腹を満たすためではなく、ただ苦痛から逃れたい一心で「脳みそぉ~!」と叫びながら人間を襲います。
この設定により、バタリアンは「恐怖の対象」であると同時に、「救いようのない苦痛に苛まれる悲劇的な存在」という側面も持つことになりました。フランクやフレディが徐々にゾンビ化していく過程で「痛い」「苦しい」と訴える描写は、この悲哀をより強く裏付けています。
考察2:なぜバタリアンは「不死身」で「賢い」のか?
本作のもう一つの発明は、「不死身性」と「知性」です。
- 不死身性:ロメロゾンビの弱点であった「脳の破壊」が一切通用しません。バラバラにしても各パーツが動き続けます。これは、彼らを蘇らせた薬品「トライオキシン245」が、死体の全細胞を活性化させる強力な化学兵器であるためと考察できます。
- 知性:彼らは走り、喋り、罠を仕掛け(救急隊をおびき寄せる)、道具(無線)を使います。これは、彼らが「脳みそ」を求める理由と直結しています。脳(=知性)を食べることで、彼ら自身の知性も維持、あるいは向上している可能性があります。
この「倒せない」「知性がある」という設定が、主人公たちを絶望的な状況に追い込む完璧な装置となっています。
考察3:核ミサイルの結末が示す「軍隊」と「人間」への痛烈な皮肉
『バタリアン』のラストシーンは、ホラー映画史に残る完璧なバッドエンディングです。
社長のバートが、ドラム缶に書かれた緊急連絡先に電話をかけるシーン。これは、ゾンビパニック映画における「軍隊や政府に助けを求める」というお決まりの展開です。しかし、電話に出たグローヴァー大佐は、救助隊を送るどころか、事態の隠蔽を最優先し、即座に核ミサイルの発射を決定します。
これは、以下の二重の皮肉となっています。
- 軍隊(政府)への皮肉:そもそもゾンビを生み出した原因は、軍が開発した化学兵器「トライオキシン245」の杜撰な管理体制にありました。そのミスを隠蔽するために、彼らは自国民(ルイヴィルの住民)ごと街を消し去るという、非人道的な選択をためらいません。バタリアンよりも恐ろしいのは、人間の組織的な悪意である、という痛烈な社会風刺です。
- 主人公たちへの皮肉:主人公たちが必死に行った証拠隠滅(死体をバラバラにし、火葬場で焼く)こそが、煙を通じて汚染を拡大させ、被害を爆発的に広げる原因となりました。もし彼らが何もしなければ、被害は倉庫内だけに留まっていたかもしれません。「良かれと思ってやった行動が、最悪の結果を招く」というブラックユーモアの極致です。
そして、核ミサイルで街ごと焼却しても、その煙がまた新たな「死の雨」となり、悪夢が繰り返されることが示唆されます。人間の愚かさによって生み出された怪物を、人間の愚かさでは決して解決できないという、救いのないループを描き切った点に、本作の凄みがあります。
🎬 さらに深く楽しむ視点:ロメロ監督とのメタ的な関係性
『バタリアン』が単なるゾンビ映画の亜流で終わらなかった最大の理由は、映画史の金字塔であるジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)を巧妙に取り込んだ「メタ構造」にあります。
「あの映画は実話だった」という発明
物語の冒頭、先輩のフランクはフレディに「あの映画(ナイト・オブ・ザ・リビングデッド)は、実際に軍が起こした事件を基に作られた実話だ」と語ります。そして、その証拠となる「ゾンビ(トライオキシン245漬け)」が保管されているドラム缶が登場します。
この設定は非常に画期的でした。これにより、『バタリアン』はロメロ監督作品の「続編」でも「リメイク」でもない、「あの映画の世界の“現実”」という立ち位置を獲得したのです。
観客は「ロメロのゾンビ=常識」として映画を観ているため、主人公たちがロメロ映画の知識(「脳を破壊すれば倒せる」)を駆使して戦おうとする姿に共感します。しかし、本作のバタリアンにはその常識が一切通用しません。
ロメロ・ゾンビの「常識」をすべて覆すカタルシス
ダン・オバノン監督は、ロメロ監督が確立したゾンビのルールを、本作ですべて痛快なまでに否定しています。
- 動き:(ロメロ)ノロノロ歩く → (バタリアン)全力疾走する
- 知性:(ロメロ)本能のみ → (バタリアン)喋る・罠を仕掛ける・無線を使う
- 弱点:(ロメロ)脳の破壊 → (バタリアン)不死身(バラバラにしても動く)
- 目的:(ロメロ)人肉を食べる → (バタリアン)「脳みそ」を食べる(理由は「死の苦痛」を和らげるため)
主人公たちが「脳を壊せ!」と叫んでツルハシを振り下ろしても、バタリアンが平然と動き続けるシーンは、観客が持っていた「ゾンビ映画のお約束」が崩壊する瞬間であり、本作のテーマである「何をやっても無駄」という絶望感を象徴しています。『バタリアン』は、ロメロへの最大限のリスペクト(実話設定)と、最大限のアンチテーゼ(設定の全否定)を同時に行った、革新的な作品だったのです。
👍 『バタリアン』世間の評価・注目レビューPick
本作『バタリアン』は、公開から数十年経った今もなお、カルト的人気を誇る伝説的な作品です。その熱狂的な支持の理由がわかるレビューをご紹介します。
💬 全てのゾンビ映画の「常識」が変わった(40代・男性)
「これ以前と以後でゾンビ映画は変わった。走る、喋る、脳みそを求める。そして何より『倒せない』。タールマンのインパクトと、オバンバの『死の苦痛』の告白はトラウマレベル。コメディなのに絶望感がすごい。」
💬 最高のバッドエンディング(30代・男性)
「ホラー映画史上で最も救いようのない、完璧なバッドエンディング。良かれと思ってやったことが全部裏目に出るブラックユーモアと、最後の核ミサイルのオチ。皮肉が効きすぎていて最高。」
💬 タールマンとトラッシュが大好き(40代・女性)
「タールマンのデザインは今見ても秀逸。不気味で格好いい。そしてリネア・クイグリー演じるトラッシュのパンクファッションと墓場でのダンス! 80年代のカルチャーが詰まったお祭り映画。」
💬 「脳みそぉ〜!」が耳から離れない(50代・男性)
「吹き替え版(特にタールマン)の『脳みそぉ~!』が強烈すぎた。ただ怖いだけじゃなく、ゾンビ側にも『苦痛を和らげたい』という切実な理由があったのが斬新だった。コメディとホラーのバランスが絶妙。」



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